[戻る]
■ 記事返信
おなまえ
Eメール
タイトル  
コメント
添付File
暗証キー (英数字で8文字以内)
画像認証 (右の数字を入力) 投稿キー
移動しました。 投稿者:サイト管理人 投稿日:2021/04/07(Wed) 23:32 No.3499

元禄桜模様(げんろくはなもよう) 投稿者:福島瑠山 投稿日:2021/03/18(Thu) 10:55 No.1876 返信
「元禄桜模様」(げんろくはなもよう)       
作詞 福島瑠山
作曲 橋暮慎吾
編曲 草野ひろし 
歌唱 黒田武士

弥生の宵は 薄桜 
両国橋から柳橋 
大高源五の 句碑をみて 
赤穂の義士に 思いを馳せる
元禄偲ぶ 美人に逢えば
声をかけよか 声をかけよか都鳥

弥生の宵は 薄月夜(うすづきよ)
両国橋から柳橋
振り向く美人は  橋の上
桜(はな)の簪(かんざし) 振袖姿
お軽勘平 道行ふうに
歌舞(かぶ)いて歩く 歌舞いて歩く 二人ずれ

弥生の宵は 薄情け  
両国橋から柳橋
元禄バブルの 仇桜 
愛よ恋よと 軽薄(うか)れて騒ぐ 
芭蕉 きょろきょろ観音参り    
鐘を撞きつき 鐘を撞きつき願かける

 (注)大高源吾・・赤穂義士、福島県三春の出身で母は同じ義士「野寺十内」の姉である。秋田大膳の重臣大高源大夫の孫にして、源之進と称したが、上役に入れられず、江戸に出て浅野家に仕えた。四方庵宗徧の門に入り吉良家の十二月十四日の茶会を探知した大功労者である。俳人其角と出会う両国橋では、其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」という上句に源吾は「あした待たれるその宝船」とつけた、其角はそれが浪々の身からようやく仕官の口でも見つかったかと単純に思った。後になってそれが「討ち入り」であることを知り、大いに己の不明を恥じた、という。両国橋東側(吉良邸側)のたもとに「日の恩や 忽(たちま)ち くだく厚氷(あつごうり)」の大きな句碑が建っている。辞世の句「梅で呑む茶屋もあるべし死出の山」両国橋を渡れば柳橋、そこは浅草寺の参道入り口であった。深川の庵に居た芭蕉はこの両国橋を通って観音様に行ったに違いない。浅草寺境内には沢山の芭蕉の句碑がある。

添付: (4847101 Bytes)

Re: 元禄桜模様(げんろくはなもよう) - 高木雄太 2021/03/18(Thu) 20:34 No.1878
おもしろいですね、面白いではなく興しろいわけであります。
史実と想像力のさじかげんが絶妙でおもしろい訳です。
作曲、編曲、歌唱の方々がプロ仕様でどっぷり歴史に浸かって
聞かせていただきました。
芭蕉がきょろきょろ・・・・う〜ん・・・してたかもしれませんね。
Re: 元禄桜模様(げんろくはなもよう) - sai 2021/03/18(Thu) 23:03 No.1879
すごい! 作曲がくれじいで編曲ががんこもんさん、歌がくろたけさん!! こりゃ、すごいわ〜〜。

プロ仕様って、そりゃあくろたけさんもがんこもんさんもプロだもんね〜。がんこもんは、草野さんのお店の屋号。北九州までいってお邪魔してめっちゃ飲んで歌って、楽しかったのを思いだしました。
何年か前に亡くなって・・・・残念でしたよね。。。

それにしても・・・これはいい作品だわ。

添付: (4847101 Bytes)

- JoyfulNote v5.11 -
++ Edited by Hamel ++